生きやすい生き方をするためには恥ずかしい事をオープンにする

自己啓発・自分磨き

恥をさらす

誰でもイヤな事だと思うのです。

そんな事をしたくないと思うかもしれませんが、それでも恥をかくことに一歩踏み出すこと。

 

それが生きやすい生き方を手に入れるために不可欠なんじゃないかな?と思うんです。

とはいえ、恥ずかしい部分というのはデリケートで過敏になっていますから、いきなり全オープンにするのは身体が持たない可能性があります。

だから、耐えられる範囲で少しずつ晒していく。

そういうことが大切なんじゃないかな・・・と思います。

恥をさらすことにトライしてみようと思った理由

恥をさらすことの大切さを感じ、その恥をさらす練習の場としても活用しようとしているのが、このブログです。

書きながら、隙を見て自分が恥ずかしいと思っていることをサラッとだしてみる。

そうやってどんどん自分を出すことに慣れていこうとしています。

すっごく端的に簡単に言えばこういうこと

なんでそんなことにトライしているのか・・・というと、色々と理由はあります。

色々と理由はあるのですが、簡単に言うと疲れたのだと思います。

自分を飾ったりすることに。
どこかでいつも、他人に見られている自分像を意識して、格好をつけなきゃ・・・と思っていたのですが、中年も中年、初老に近くなった今、疲れたんです。

 

疲れたのですが、だからといって今までのやり方に慣れ親しんでいる分、急には路線変更できないといいますか、違う表現方法が自分でもわからない。

そんな悩みに直面しました。

隠している自分を出す練習

もっと楽な自分になろう・・・と思って、素の自分を出さなきゃとは思ったのですが、素の自分って何?って疑問に次はぶつかるわけです。

今までも結構素を出していきてきたのに、急に素を出さなきゃ・・・ってなっても、その素がわからん。

 

そこで考え方を変えました。

素を出すというのではなくて、隠している自分、出したくない自分を出していく練習をしてみよう・・・と。

そんな風に思ったのです。

自分を出す練習としてのブログ

隠している自分を出すってことで、露出した写真をアップするってわけではありません。

隠しているということは、つまり自分が恥ずかしいと思っている部分。
こんな自分を知られたくない、知られると恥ずかしいと思っているから、隠そうとしているんだから、そういうところを出していく練習をしてみよう。

そんな事を思ったのです。

 

でも、プライベートでいきなりそんな事をする勇気はまだないし、匙加減もわからない。

だから、まずはブログならどうだろうか。
僕のことを全然知らない人も読んでいるのだから、そういう方には逆に変な先入観もなく受け入れてもらえるかもしれないし。

そういう理由から、ブログで自分の恥ずかしいことを晒していくという方針を持つことにしました。

恥ずかしい部分を表現することで分かった3つの事

そんなわけで、実際に自分が恥ずかしいと思うことをいくつかブログ記事には書いていみました。

なるべくそう感じさせないように書いているのですが、書いてみてわかること、思う事ってのがあり、総合するとメリットが大きいです。

何のリアクションもない

もしこんな反応があったらどうしよう・・・と不安に思っていたのですが、そういうものが一切ありません。

そもそもアクセス数が極小なブログですから誰も気に留めていないというのが正解なのでしょうが、それでも、自分の中では100人が見れば100人が何らかリアクションを起こすと思っていたので、それがないと言うのは、大きな収穫だと思います。

自分が思うほど、他人は自分のことを気にしていません。

素直な気分になれる

これが一番の驚きだったのですが、素直になれた気がします。

嘘をついたり、取り繕っている時の嫌な感覚ではなく、素直にオープンになれた気楽さのようなものを味わうことができます。

恥ずかしいと思っている事は出したほうが楽になるってのは、ちょっとした発見だったと思っています。

卑屈にならない表現の工夫の必要性

ただ、注意が必要なのが、取り扱いの工夫が少し必要になると言うこと。

恥ずかしいと思うことをオープンにするときに、だから自分はダメなんだという文脈になるような流れでオープンにすると、言っている自分も聞く側も嫌な気分になる。

例えば、自分の身長が低いことを気にしているとしたら、身長が低いから何をやってもダメなんだという表現で恥ずかしいと感じている部分をオープンにすると卑屈感が出てしまう。

 

同じように身長が低い事を気にしているのなら、なるべく中立な表現を意識するほうが良い。

”自分のように身長が低いと、XXという場面では”という書き方をすると、誰がどう見てもそのことを恥じているとは感じない。

そんなわけで

自分の恥ずかしい部分を出すことが、無理をしない自分になることなのだという気がするので、その方向に向かって自分を表現したい。

でも、いきなりプライベートでそういうキャラ変を起こすのには抵抗があるので、ブログからテスト的に表現していくという方針を取り入れて記事を書いています。

そんなことをあえて記事にして書かなくてもいいんですが、照れ隠しもかねてこういう記事を書いてみました。

 

思えば、こういう事を書こうとした理由は、朝聞いた伊集院光とらじおとの宇梶剛士さんゲストの放送回の影響かもしれません。

過去を淡々と、しかしわかりやすく話しておられたのですが、多分、本人の中では隠したいし、恥ずかしいと思っている過去。

それを卑屈にならず、かといって荒々しく話すでもなく語られているのを聞いて、こういう風に過去を受け容れたいと思ったのがあったのかもしれません。

 

(宇梶さんそのものは昔から知っていましたが、グレたキッカケが、校内の問題の濡れ衣を学校側がすべて宇梶さんにかけたことで、そこからしばらく大人が憎くなってしまったからというのは初めて知りました。)

 

隠したいことは隠し続けてもいいのだと思います。

ただ隠すことにもエネルギーは使いますから、隠す事が増えるほど、エネルギー消費が大きくなり疲れます。だから多分、隠す事が減るように考えて、行動していくほうがどんどん生きやすくなるんじゃないかな?

そういう想いで、しばらく書き続けたいな・・・と思います。

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