ウーバーイーツ配達員のツイッター(今はXか。ややこしい)を見ていると、「こんな奴が居た、許せん!」という投稿がされることがある。
いわゆる”晒し”である。
これに対して、「そんなことはしてはいけない!」とする注意喚起のツイートも起きる。1日1回ぐらいの頻度でこんなことが起きている。
でも、自分は晒し行為に対して、そこまで怒れない。むしろ晒される奴が悪いまで思っている部分がある。
もちろん、SNSで晒し行為を行うことがダメなことは今の時代誰もが分かっていると思うし、自分もわかっている。ただ、個人的には、ケースバイケースな気もしている。
例えば、”こういう不潔な配達員は許せない”であったり、”許可を取ってない自動車で配達している”といったようなことは、前者は料理を運ぶ同業として怒る気持ちもわかるし、後者は違法行為。
どちらも自分たちにとっては仕事に少なからず影響はあると思うので、それを晒すことによって一定の啓蒙や抑止力になる気がしている。
それでも晒しはよくないとする理由もわかる。ネットで少し調べると、弁護士さんのブログなどに、晒し行為は・・・
- プライバシー侵害
- 名誉棄損
などに該当するといったことが書かれている。
同時に、その行為が公序良俗にとってメリットがあるのなら、その限りではないこともあるとされている。
法的には個人を特定し、その人にいわれのない不利益を与えるようなことは許せません!ということのよう。ちなみに、たいていのフーデリ運営元もSNSで特定できる形で何かを晒すことは禁じていて、それを行うともう仕事させません!って扱いになる。
実際に、晒し行為が理由で仕事できなくなった配達員も居る。
そういったことから配達員がSNSで晒し行為をしないほうが良いのはよくわかるけど、個人的にはどうしても完全な悪とは思えない。
理由はちらっと書いた抑止力。その部分に期待する自分が居るから。
フードデリバリーの配達員は個人事業主としての契約形態なので、横のつながりがあるようで全くないと言ってもいい。仲間意識のようなものもありつつ、それと同等かそれ以上にライバル意識も持っている。
利害関係が一致するときがあれば、利害関係が一致しないときもある。不思議な関係性。
そんな配達員にとって、同業者の悪行は自分たちの仕事に少なからず影響がある。
この記事を書いている直近で、浮浪者のような配達員が居るという晒しツイートがあった。当然そんな晒しはよくないという方向の意見が出てくるわけだけど、自分からすると、そういう浮浪者配達員がご飯を運んでいるという事態そのものが許せない。
家がないらしく、普段は道端で寝起きしていて、その格好のまま配達をしているそうだ。不潔この上ないし、多分匂いも相当きついと思う。
そんな配達員が配達しているとなると、お客は当然嫌な気分をするし、そういう配達員が居ると知られるだけで、注文をしたくないというお客も出てくると思う。なにぜご飯を運んでいるんだから。
晒し行為以上の損害を与えていると思う。
ツイートをしたからといって、その本人が急に家を借りて、そこで寝食をし始めるわけでもないしと思う。下手すれば本人はツイッターをやってないので、全く気付かない可能性すらある。
でも、そういう風に晒されることでキッカケで、本人の耳に何らかの形で「それはよくないよ」という注意は届くことを期待している部分がある。
そういう間接的なフィードバックが届くかもしれない装置として、ツイッターでの晒し行為は一定の効果があると思っている。
上司や同僚が居ない仕事だからこそ、そういった他人からのフィードバックを得る機会は必要なんじゃないかな?とも思う。
だから、晒し行為を絶対にダメとは言いにくい部分がある。
多分、感覚がちょっとずれているのだと思う。多分晒しはどんな理由でもダメが正解なんだとは思うし、自分から積極的に晒そうとも思わない。
加えて自分は晒されることはないという慢心もある。そんな慢心があるからこそ、自分が晒されたら相当ショックなんだろうけど、でも、そういう目に合わないと気づけない部分があったんだ・・・と受け入れるしかないという覚悟は持っている。
だからこそ、晒し行為ってそんなにあかんのかな?と思う自分が居る。
そんなことをふと思った。