某フードデリバリー配達員の備忘録

中年男性フーデリドライバーの独り言兼メモ

ノルマがない仕事を味わえる!ノルマがないウーバーイーツの配達員という仕事

ノルマ。

仕事をするうえでは切っても切れない言葉かもしれません。
そんなノルマが一切ないのがUber Eats の配達員という仕事を僕はかれこれ3年以上やっています。

だからこそ分かること、分かった事があります。

 

良いノルマは成長させてくれますが、悪いノルマは自分自身を潰します。

”ノルマを課す”ことは良い事なのか、悪い事なのか

どのような仕事も、たいていは”ノルマ”を設定しています。

個人や団体に対して国家や組織が強制的に割り当てた労働の目標量であり、多くの場合は労働の成果のみならず時間的な制限も付加される。

ノルマ Wikipedia

言葉の定義としては”目標数値”という意味ですので、ノルマを設定することそのものが間違っているということはないと思います。

でも、ノルマを課すことに何も問題がないわけではありません。

新卒が辞める理由の中に”ノルマ”は上位に入っている

国が調査した初職を離職した理由の調査によりますと”ノルマや責任が重すぎた”ということが上位にはっております。

初職の離職理由(複数選択可)についてみると、「仕事が自分に合わなかったため」が43.4%で最も多く、「人間関係がよくなかったため」が23.7%、「労働時間、休日、休暇の条件がよくなかったため」が23.4%、「賃金がよくなかったため」が20.7%、「ノルマや責任が重すぎたため」が19.1%と続いている。

就労等に関する若者の意識

ノルマや責任が重い仕事を続けたくない、だから仕事を辞めると決断する理由となっている現状があります。また、ノルマ未達によってメンタルの健康を失いうつ病になるケースもあります。

ノルマを目標数値だとするなら仕事をする上では不可欠な数値であると見て間違いはないのですが、そのノルマによって仕事を継続できなくなるという本末転倒なことが起きているのが現状です。

ノルマは良いものなのか、悪いものなのか

ノルマは良いものなのか、悪いものなのか。

簡単に結論を出すことはできないかもしれませんが、僕は次のような条件に合致している場合はノルマは良いものであり、外れるとノルマは毒になることがあるんじゃないか?と思っています。

  • 本人の力量でなんとか達成可能
  • 目標数値を自身の意思で選択可能

この2つのうち1つでも外れた目標数値は、その本人を苦しめる数値になると思います。

中でも実力に見合った目標数値を建てるために欠かせないのは”実力を客観的に認知する”ことだとも思います。

実力を客観的に正しく認知できない状況や環境、または人物によって作られた目標数値は、当人を苦しめる結果になるためです。

具体的にこう思うんです。

「本人の甘えが許されない」しかし「達成可能」である

良いノルマの数値というものがあるのだとしたら、それはまず”達成可能”であることが絶対条件だと思うのです。

会社や上司などの都合によって勝手に決められた数値ではなくて、本人の実力に見合った数値であることが重要だと思うのです。

その実力をどう把握すればいいのか…という点においては、本人よりも周囲の人間が客観的に把握したほうが良いと思いますので、上司などの周囲の人間が設定するのは問題がないとも思います。

つまり、その人の実力を正しく評価できる人物=現実を正しく認知できる人物がその人を評価して設定した目標であることが大切だと思うのです。

 

また、その目標数値は、本人の甘えが許されない絶妙な数値であることもまた大切なのかなとも思います。

頑張れば達成できる、でも手を抜くと達成できないかもしれない。

そんな数値を立てることが大切なのかな…と思いますし、そういう数値を立てるべきだからこそ本人の主観だけで目標数値を決めないほうがいいんじゃないかなとも思います。どうしても自分に甘い目標を立てたくなると思いますから。

そして、頑張れば達成できる数値を設定することによって、手を抜かず限界近くまで頑張ることを自分に課すようになりますから、成長が促されることにもなると思うのです。

そんな本人の甘えが許されないレベルの達成可能な数値を建てるには、正しく実力を認識できる他人の存在が必要なんじゃないかなと思います。

”自分で目標を選ぶ”というのは意外と大切だと思う

目標数値を建てる上で、個人的に大切だと思っているのが最終的には自分で目標数値を選ぶという意識です。

例えば、3つの数値目標があるので、どれを目標数値にするのかを決める。

そうやって自分で決めることでその数値の責任感を本人に持たせることになるんじゃないかなと思うのです。

会社や上司が決めたノルマがきつく感じるのは、そこに自分が選んだ意識がないからじゃないかな?とも思うのです。言い方を少し変えると、その目標に本心では同意していないんじゃないかな?と。

同意していない目標を掲げられ、それが達成できなければ????責される。そんなことが繰り返されれば、どんな人でも精神を病んで終わると思います。(本当は実力を正しく評価して数値目標を設定しなかった上司の責任であるはずですし)

大切なのは目標数値に当人が同意していることだと思うのです。

 

この目標なら達成できそうだ、なんとかなりそうだ。そう感じる数値を自分で選ぶことで、そういう予感がある数値だからこそ、じゃあどうやって達成しようか…という次のモードに移行できるんじゃないかなと思うのです。

「なぜこの数値?」という疑問が残るままだと、思考がそこで止まり、結果的に目標をやっぱり達成できなくなるとも思うのです。

また、その目標数値に対して「できそうだ」と思ったからこそ、未達だった時に真摯に反省し、改善点を見つけやすいとも思うのです。

自分ができると思っていた予測の中で描いたことと現実がどう違っていたのか。どの部分の見込みが甘かったのか。そこを見つけて改善することが成長になるはずですから、自分で目標を選ぶ意識が大切だと思うのです。

 

つまり、達成可能な数値を提示してもらい、それを自分で選び実践する。

そういう環境の下でのノルマなら健全で前向きな力を持つことになると思いますが、無茶苦茶な数値を設定し、それを押し付けて、できなければお前の責任だ!とするのは、ノルマがその本人を苦しめることになります。

ノルマに良し悪しがあるのではなくて、その数値の根拠と数値への同意の有無が良し悪しを分けているんじゃないかな?と思います。

ウーバーイーツの配達員というノルマを選べる仕事をしてみて感じる事

僕が今やっているウーバーイーツの配達員の仕事にノルマはありません。

1件だけ配達して帰ってもよし、1日中配達して10件20件と積み上げてもよし!です。自由な働き方を大切にしているのがUber Eats ですので、ノルマを配達員に課すという仕組みは設けていません。

配達員は個人事業主なので、目標数値は各々で勝手に決めてくださいってところなのだと思います。

そういう仕事ですからノルマの重要性、厳密には目標数値を建てて、それに向かって計画して行動することの大切さを強く実感しています。

つまり、ノルマは必要だなとも感じるのです。

とにかくモチベーション維持が難しい

ノルマがないことで、自分自身を奮い立たせるモチベーションをどう維持するのかが難しくなるという側面があります。

1件で終わっても、10件やっても、20件やっても自由ですので、どうしても楽なほうに流されようとする自分が出てきます。

そこを奮い立たせ、いややるんだ!と自分を律することが求められる部分があります。

では、何で自分を奮い立たせるのか…となるとやっぱり目標が必要になってきます。

ノルマや責任が仕事を辞める理由の上位となりますが、それがなければないで、仕事をする意欲を維持することも難しいのだな…と強く実感しています。

「ノルマがないほうが良いのか?」という問いに対しては、無くても成立するなら無いに越したことはないかもしれないけど、でも、結局何らかの数値目標がなければ、仕事そのものに張りがなくなるので、それはそれで辛いとも思うのです。

配達員のモチベーションを高めるための仕組み「クエスト」

Uber Eats にはノルマはありませんが、やるぞ!と意欲を掻き立てる仕組みが用意されています。

それが「クエスト」と呼ばれる特別報酬制度です。
簡単に言えばウーバーイーツから提示される”件数ボーナス”です。

「指定の期間内に10件行けばさらに○○円の報酬が発生しますよ」みたいな感じで、追加報酬の提案があります。

その報酬を目標に稼働している配達員が多くいますし、僕もこのクエストを1つの指標にしています。

「今週は〇件やるぞ!そのためには1日あたり最低でも〇件はやっておきたい」
そんな風にゴールから逆算した数値目標を建てて、日々稼働するようになっています。

クエストのお陰で単純な仕事にゲーム性を持ち込んで日々頑張れているとも思います。

そして、このクエストが本当によくできているな…とも思うのです。

過去の実績から逆算された目標数値

クエストの仕組みは時折テコ入れが入りますので、この記事を書いている今現在の仕様での話になりますが、今日現在うまく作られているな…と感じます。

というのも、クエストで提示される数値は過去の稼働数値を基にして提示されるのです。

例えば、過去3週ぐらいクエストを完全クリアしていれば、この配達員はその数値目標を超えることが出来るとみなされて、一段上の数値目標を提示されます。

その数値目標を連続でクリアできれば、更に上の…と繰り返しながら少しずつ数値目標を上げていくことで、最終的にちょうどいい負荷の目標数値で着地するように設計されています。

例えば、今週は30件、先週も30件、先々週も30件の数値目標を提示され、それをクリアしているとします。

すると、次週は50件が目標数値として提示されるようになります。その50件もクリアし続ければ、次はもう一段上の数字目標が提示されます。

これを繰り返し、クリアできるギリギリのライン(時折未達が出てくるライン)になってくると、その付近の数値目標で落ち着くようになります。

そして上手に設計されているのが、未達が続くと、目標数値がワンランク落ちるのです。
クリアがしやすいであろう一段低い数値目標を提示されるので、それをクリアしようと頑張る。

一定回数クリアを続けると数値目標が上がる。

こういった感じでギリギリのラインを設定してくるので、配達員は「よし、これなら行ける!」と感じて頑張って配達しようとしますので、僕の場合は、なんだかんだ3年も続けることができているのだと思います。

つまり・・・

ノルマをどう設定して、どう運用していくのかで組織の生産性が変化するのは間違いがないと思います。

客観的に実現可能な目標数値を提示し、それに取り組むかどうかを本人が選ぶ。

これを実現することができれば、ノルマは前向きな力を発揮してくれることになると思いますし、実際にウーバーイーツで配達員として従事していてそれを実感しています。

ノルマがないのがこの仕事の魅力だと思ってましたが、ノルマがなければないで仕事をやろうという張りがなくなるということも実感しましたので、ノルマがないというのは魅力なのか…という疑問を持つようにもなりました。

 

それをウーバーイーツは理解しているのか、ノルマの代わりになる”クエスト”という報酬システムが設けられています。

件数に応じたインセンティブが用意されており、それを達成するために件数を積む。ノルマのようなものに近いものが用意されていますが、それのお陰で単調な仕事にゲーム性が生まれているのも事実です。

それをやるのかやらないのかは任意ですし、過去の実績に基づいてますからクリアできそうな目標が設定されており、強制せず、なおかつ丁度いい高さで目標が設定されているのです。

だから、やってみようと思えるし、やると決めるのは自分自身ですから責任も生まれます。だから達成できなくても誰のせいでもなく自分のせいだと思えますし、どうすれば良かったのか…と真摯に反省することもできます。

  • 本人の力量でなんとか達成可能
  • 目標数値を自身の意思で選択可能

この2つをクリアしている数値目標が設定できるなら、ノルマはあなた自身のプラスになると思います。

 

逆に言えば、その2点が欠けた状況で課されるノルマは、あなたの毒になり、あなたを苦しめるかもしれませんし、苦しみを生むノルマを設定する環境からは逃げたほうが良いとも思います。

あなたの実力を正しく測れないのだし、正しい数値目標を設定できないということは他の数値目標にも根拠がない可能性がありますから、ほぼ全てが精神論で回っている可能性があります。

その数値目標に対して上司や管理職側が責任を取るなら良いのですが、多分それは期待できません。上司や管理職が責任を背負うなら、達成可能で現実的で根拠がある数値目標を設定するはずだからです。

そういう責任を取らずに組織を回すためにノルマという都合のいい言葉で末端に負荷と責任を押し付けているのだとも思いますし、そういう組織がいつか健全化されるということはないはずです。

 

だから”ノルマ”に良い悪いがあるのではなくて、ノルマの後ろにあるもので良し悪しがつきますので、その有無で判断したほうが良いのだろうな…。

そんなことをウーバーイーツの配達員というノルマがない仕事をやってみて思う今日この頃です。

 

最後に、もしあなたが理不尽なノルマで苦しい仕事をしていてパンクしそうとかなら、一旦ノルマがない仕事を体験してみるのもいいと思います。

ノルマがないという環境の解放感を味わうことが今は大切かもしれませんし、ノルマがない仕事をすることでノルマの存在意義のようなものを実感できるかもしれません。

それを実感できればノルマとは何かが見えてくると思います。
今のままではあなたを消耗するだけです。

そのノルマがない仕事としてウーバーイーツの配達員を本業や副業にするという手もありですし、僕でよければそれをサポートさせていただきます。

もちろん世の中にはウーバーイーツ配達員以外にもノルマがない仕事はありますので、転職サイトなどを駆使して転職してみたり、まずはバイトという形で体験してみてもいいんじゃないかな?と思いますよ。