疑うことの大切さを小さなころから教えることは大切だと思う

自己啓発・自分磨き

4連休の最終日。

街にはそこそこ多くの人があふれていたように思います。

コロナなんてどこ吹く風!でしたね。

 

そんな暑さのせいか、ちょっとした討論?が僕の持つ某ツイッターアカウント関連でありました。

当事者でもなんでもないんですけどね。

細かく書けば書くほど何を言っているのかわからなくなるので、具体的には書けないのですが、ザックリ言うと、ある人が嘘をつき、その嘘を追求する人が居て、その追及する人を批判する人が出て・・・というカオスが起きました。

面倒くさい状況ですよね。

ほぼ白黒がついている試合なのに、その揉め事の中心に居る人が認めたがらないんですよね。

そんな揉め事を経て、思うことを。

疑われてウソがばれたのに擁護者が居るという話

細かいことを書くのが本当にバカバカしいことです。
ツイッターという狭い世界の話です。

ほんとバカバカしいけど何が起きたのかのあらすじだけ。

圧倒的実績をアピールする人が登場

まずは、ある人が「俺はすごい実績を持っている」と証拠画像をアップしました。

おお!すごい!という反応と、ほんまか?という反応に分かれます。
僕は「ほんまか?」側です。

その数字は色々と無理があるな・・・というのが一見するとわかるのですが、なぜか一部の人は熱狂的に支持して、ちょっと感動していたりします。

証拠の偽造を確認

その実績はおかしいよねって事をちゃんと確認したい人が、数式を用いたり、証拠画像の加工の痕跡を見つけて報告し始めます。

すると、その実績自慢の彼はその報告を避けるように鍵垢(不特定多数とのかかわりを断つ状態)に。

擁護者が登場

なぜかそこで、その凄い実績を持つ人を熱烈支援していた人たちが、その実績の持ち主を擁護したり、本人を励ましたりしはじめます。

圧倒的な実績を妬んでいるやら、木村花さんで何を学んだんだという方向に話が展開し始めます。

要するに、これ以上追求するな!ってことです。

なぜか偽の成功者がお怒りになる

圧倒的な実績の追加の証拠を出すが、その追加の証拠にも粗が見つかり、いろいろな角度でその証拠は偽造である証拠が出てきます。

もうその一部始終を見ているとどう考えてもクロなのですが、当事者は、成功者はいつもこうやって足を引っ張られる的なことをつぶやく始末。

ほんとどうでも良い話なのですけどね。
でも、ちょっとだけ思うことがあったのでそのメモとして。

疑うことと信じること

なぜかすぐにバレる嘘をつき、その嘘をつき通して泥沼にはまっていくというのはよくある話だし、ほっとけばいっか・・・と割り切れるのですが、気になるのが、そんな嘘を妄信できる人の存在です。

 

これって嘘だよね?という証拠が次から次へとあがるのに、なぜかそれらを否定して、妄信し、しまいには自殺まで追い込むのか?とか言っちゃう人が居る。

 

明らかな嘘をついている相手に、なんで応援してますとか、信じてますとか言えるんだろう。

その部分が凄く興味があって、あれこれ考え、出た答えはこんな答えです。

信じる=善、疑う=悪

多分、信じることは良い事で、疑うことは悪い事だという思い込みがあるんだろうな・・・と。

だから、疑っている人たちの事を「悪人」に見えて、信じようとしている自分は「善人」だと思ってるんじゃないかな?と。

 

そういう漫画やドラマが多いですし、親や童話からそういう事を学んだのかもしれませんが、本当に信じる事が良い事で、疑うことが悪なのでしょうか?

特に疑問が「疑う=悪」って感覚です。

疑う=悪・・・ではないと思う

僕の感覚では「疑う」ことは悪ではないと思います。

信じる事が良い事だというのは理解できますが、疑うことは良いも悪いもなく、信じるためのプロセスの一部だと思うんです。

 

疑って疑って、疑って、それでもそれは事実だ、本当だという答えが出るから”信じる”という状態になると思います。

疑うからこそ信じることができるので、疑うことは信じるための通過儀礼だと思います。

疑わないことが正しいと思うことが間違い

でも、何も疑わずに簡単に信じるというステップに行く人が居ます。

そして、そういう人は、そんなに簡単に信じたのにそれにに疑いをもたれると過度に擁護したり、激しく守ろうとする印象を今回のやり取りを通して感じました。

 

これは、”疑う=悪い事”と思っているからこそ、そうなるのだと思っています。

  • 疑うことは悪い事だから、疑わずに信じる。
  • 疑わずに信じたものを、他の誰かが疑う。それは悪い事だから、疑ってくる人を攻撃する。

そんなことが起きている印象です。

 

気持ちとして理解できる部分はありますが、疑い=悪という考え方は、あまりいい結果をもたらさないな・・・って事を感じました。

そんなわけで

現在、圧倒的な実績を持っていると言いながらも、その証拠は検証の結果偽物だとつきつけられた人は、それでも擁護してくれる信者の方たちと、どうやって疑ってきた奴を懲らしめようかとの打ち合わせをツイッター上でしているようです。

どう考えても自分が不利な状況なのにどこに勝機を見出しているのだろう?と思いますが、もはや何を考えているかわかりませんし、どっちでもいいです。

 

ただ、そういう変な輩を信じている人は、悪意がない分、なんか勿体ないと言いますか。

まっすぐに信じれる心があるんだから、信じる対象をちゃんと選ぶプロセスを身につけたほうがいいんじゃないかな?なんてことを思いますが、今の状態でそういう事を言われると余計にカッカカッカするので静観しています。

 

疑う=悪って思い込みは、あまり良いモノじゃないと僕は思う。
それが言いたい今日の日記でした。

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