「何を書こうか…」
ついさっき、そう考えて手が止まっていた。読み手にとって価値があることを、良いと思えることを書こうと思う。けど、それって何だろう? と。
何を書いても良いぞというのがブログなんだけど、何を書いても良いとなると分からない。それを考えているうちに、価値のミスマッチについてあれこれ考えている自分が居た。
「価値って相手が決める事だよな…こちらから”これが価値がある”と出しすぎないほうが良いのかな?」
価値のミスマッチにどう考えるか
面白いと言ってくれたけど釈然としないムカデの話
昔のバイト先の店長と話をしている時に、こんなことがあった。
自分が測量の仕事をしている時に、山の中ですごく大きいムカデに遭遇した話をした。そんな何気ない出来事を、ややリアルに話したことがある。
後日、店長に言わせると「お前が話した話の中で一番おもしろい」とのことだった。
でも、自分にはそれが違和感しかなかった。
他の話のほうがよく練れているはずなのに、それじゃなくて、この話が一番おもしろいのか…と。
何をおもしろいと思うのは人によって全然違うよな…と。
何を面白いと感じるかは相手が決める
ブログを書こうと思ってこれが脳裏をよぎったのは、何がおもしろいのかという価値基準のようなものが、人とは違うよねってことに直面しているから。
何を書けばおもしろいと思ってもらえるのか、その答えが自分の中にはない。
自分なりの着地を見つけることは、できるっちゃできる。その上で、こう考えることである程度の気持ちの整理はできる。
- 3割ヒットなら一流打者なんだから、外れて当然ぐらいだ
- 何を書いても、誰かにはおもしろいと感じるはずだ
- 書いていくうちに分かってくることでは?
そう思ってまず記事を出すことが大切だと思うし、実際そうだと思う。
店長に話したムカデの話のように、何が面白いのかなんてきっとわからない。
だからまず書いてみるってスタンスって大切なんじゃないかな?と思っている。
投げてみて反応を見ることでしか対応できない
好きな人への告白と同じかもしれない。
告白する前にあれこれ悩んだとしても、結局は告白をしなければわからない。うまくいくかもしれないし、うまくいかないかもしれない。
うまくいけばいいけど、ダメだったとしてもそれは自分がダメとはならない。その相手にとっては響かなかっただけ。違う人には自分と言う存在が響くかもしれない。
だから、考えるよりもまずは投げてみるほうが良いんじゃないかな?ということが、ブログでも言えるような気がしている。広く言えば、人間関係全般がそうなんじゃないかな?とも思う。
だから、まずは書いてみる。自分の中で引っかかりがある部分、心が動いた事を書いてみる。それが響く人がいる、共感する人がいる。それでいいんじゃないかな? と。それがいいんじゃないかな?と。
これからは人間の主観的な言葉の時代
それにこれからの時代、AIが情報を届ける担い手になることは間違いがない。
AIがとりあえずに正解、平均的意見を出してくれる。そういうものはAIの役割なので人間がわざわざ言う必要はなくなる。コンテンツマーケティング的なものはどんどん終わりに向かうはず。
そこで残るのはAIが平均だとは思わない情報、つまりは個人の価値観だけに基づいた意見だと思う。それを発信する人に注目が集まる日がくるんじゃないかな?とも思っている。
長期的にはそういう役割をAIが担うことがあるかもしれないが、中期的には、個人の個性的な価値観が反映した意見や体験こそがAIには出来ない事として注目を浴びるとは思う。
そこを狙ってブログを運営しているわけじゃないけど、書く価値があるのか?となれば価値はあるとは思う。
ただ、それを価値があると感じてくれる相手がいるのかどうかを初期段階で感じ取ることはできないのが悩ましいな…なんてことを思っている。
そんなことを想いながら…
「書くことがない」と言いながらここまで書けた。そして、こんな事も思った。
「分からなくてもやる」。これ大事だなって。
自分として納得の低いものが出来上がるかもしれなくても、やると決めたことはやる。それでOKってこともあるよね? と思っていたりする。
いやいや、やるからにはベストで120点を目指すべき。それも分かるけど、いつもそれができるわけじゃない。人間だもの。
雀鬼の桜井章一って人は、こんなことも言っている。
「勝っている時、うまくいっている時は運が良いだけ。自分の実力以上が出ている。しかし、負けている時、うまくいかない時が自分の実力。運要素がなくなった実力だけの姿。そこで正しい形で淡々と続けることが運を引き寄せる」
ダメだなって思う時でもやる。良いものができないじゃなくて、それが自分の実力。実力通りの結果がでているだけだと受け容れて、やってみる。やってみることで実力が身につく。
そういう考え方もあるし、大切だとも思う。